横浜市会議員・ゆさ大輔の4年間 意見広告 「声は届く―。未来が変わる。」 すが義偉・内閣官房長官と対談
初当選から間もなく4年。ゆさ大輔横浜市会議員が任期満了を前に、政治の師である、すが義偉内閣官房長官と対談し、これまでを振り返りつつ、今後の目標を語った。(企画・制作=ゆさ大輔事務所)
ダンボール工場とゴミ工場
ゆさ 私は大学在学中に祖父の会社が倒産、学校を退学し、民間のゴミ工場に就職しました。そこで昔から会社が応援していた、すが義偉衆議院議員と偶然知り合いました。
すが 確か、最初に国政報告会に来てくれたのですよね。そこで出会ったことを今でも覚えていますよ。
ゆさ すが議員がダンボール工場などで働きながら大学に通い、苦学の末に政治の道へと入った経緯、政治は大切だというお話を直接聞いて、マイナスイメージしかなかった政治家の印象が変わりました。
――2005年の衆議院選挙をボランティアとして手伝い、その後、すが事務所に入所する。
すが 秘書はまず車の運転手から始めます。朝から晩まで行動を共にし、私の考え方、世の中の流れ、そういうことを学んでもらっています。厳しいですよ。
ゆさ 何年も事務所にいて、政治のことはあまり教わっていません(笑)。人としてどう成長できるか、その部分は鬼のように厳しかったです。言葉遣い気遣い、何でもそうです。人から信頼されることがどれだけ大変で時間が必要なのかを学ばせていただきました。
国と横浜の連携
――2010年、市会議員選挙が翌年に迫る中、現職が引退表明。しかし、内定していた後継者が突然の出馬辞退。誰も候補者がいないという事態に。
すが 本人を呼び、じっと目を見て「行く覚悟はあるか」と聞いたら「すがさんに全て任せます」と(笑)。
ゆさ 拾ってもらった恩人ですから。
すが そうした中、選挙1カ月前に東日本大震災が発生しましたが、逆境の中、自分のやるべきことをしっかりと見据えていました。
ゆさ 祖父が東北出身なので、すぐに足を運びたかったのですが「まずは被害が少ない横浜が決められたことを実行し、議員として東北に行こう」と決意しました。
――ゆさ市議は当選後、地元で預かった募金を届けるため、継続して被災地を訪れている。
ゆさ 震災の教訓を横浜で生かすため、まず小中学校の放射線測定を早く完了させることに尽力しました。さらに全国初の崖地に関するルールを作りました。震災を風化させないよう、南区と東北の架け橋になる「ゆさ祭り」も行いました。
すが 官房長官就任後、横浜の家には一度も戻っていないのですが(笑)、毎日のように連絡を取っていますので、ゆさ議員からは南区、横浜のことをよく聞いていますよ。国政と市政が連携することで、さらに良い国をつくることができるように頑張ります。
ゆさ 私たちの年代は中学校卒業後、経済は右肩下がり。景気が良くなったとか、政治で国が良くなったという経験がありません。でも今は、心から信じている人が日本を動かしています。昔の自民党、この前の民主党、誰にもできなかったことをやっています。
すが 私たち政府は、景気にすべてを懸けています。経済を成長させて、活力ある国をつくる。ぜひ期待してください。
2人 ありがとうございました。
■ゆさ大輔事務所
南区吉野町4の19
【電話】045・261・2612
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