今年の海老名市「戦没者追悼式」で登壇し、戦争体験を話す予定だった清田節子さん―。
人前で話すのは得意ではないというが、「今年は戦後75年で私は80歳になる。活動の一つの区切りになればと思い、引き受けることにした」と話す。しかしコロナの影響で式は中止。講話は動画で公開する形に変わった。「緊張していたのでほっとした気持ちもあった。孫も動画を見てくれた」と目を細める。
出征先の父から届いた44通の葉書。清田さんは今でも目にするたびに胸が熱くなるという。
清田さんの父は1943年に入隊。満州東北地方からミンダナオ島に上陸し、終戦間近の1945年6月に戦死した。
父親からの葉書は、いつも家族を心配する内容が書かれていた。最後は43年8月頃。文面には「いたずらをして、母さんのお仕事のじゃまをしないで、元気に遊びなさい」とあった。
清田さんは葉書の存在を長年知らなかったが、50歳の頃、母親が保存していた葉書を偶然見つけた。清田さんは「母は戦争について話さなかった。いつか私が見てくれればと思って保存していたと思う」と話す。
清田さんは長年役所勤めで戸籍事務を担当し法務大臣表彰も受けた。50
歳で退職すると、戦後60年にあたる2015年、防衛庁などから資料を取り寄せ、父の足取りを調査。地理状況から餓死ではなく戦闘による戦死ではないかと推察。母は調査することに否定も肯定もせず、結果を伝えても「あ、そう」というそっけない反応だった。
しかし母の死去後、物置で父の茶碗と杯を発見。やはり母は父が必ず帰ると信じていたのだと思い、涙したという。
戦後75年。戦争体験者が少なくなることに危機感を持っている。「一日を一生と思って生きる。変わらない毎日を繰り返すことが、幸せなのだと思う」と話した。
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