「土木事業者・吉田寅松」【11】 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略
重要文化財になった碓氷峠鉄道
平成五年に、煉瓦造りでは国内最大級の碓氷第三橋梁「めがね橋」はじめ一連の橋梁、隧道など、明治時代の土木建築の粋を集めて建造され、近代産業に大きく貢献した「碓氷峠鉄道施設」が近代化遺産として国の重要文化財に指定された。
平成十一年に横川駅に隣接して「碓氷峠文化むら」が開園。平成十三年に横川駅から碓氷第三橋梁「めがね橋」までの旧線跡が遊歩道として整備され、平成十七年からは、旧線を活用して碓氷文化村から峠の湯までの二・六キロをトロッコの遊覧電車「あぷとくん」が運行されている。
さらに平成二十四年には、旧熊野平信号所までの全長五・九キロが「アプトの道」遊歩道として整備された。
私は、遊歩道として整備されて間もない頃の旧線跡を、職場の若い友人に誘われて歩いたことがある。
横川駅近くにあった煉瓦造りの発電所の前から真黒にすす焦げたトンネルをいくつか抜け、山あいの谷に架けられた橋を渡って、第三橋梁めがね橋まで歩いた。
めがね橋から国道十八号の旧道に下りて見上げた巨大な煉瓦造の橋梁の壮観さは、今でも脳裏に焼き付いている。
トロッコ異聞
峠の釜めしや、めがね橋に圧倒された個人的な感懐から、冗長になってしまった碓氷峠越え。
遅れついでのトロッコ異聞。トロッコは、隧道掘削などの土木工事現場や炭鉱から大量に出る土砂や石炭を運ぶために専用軌道を走らせる手押し車のこと。
このトロッコは、明治二十五、六年頃、吉田組の植松甚助が創案「土工用トロリー」が始まりという説もある。
吉田組は、明治二十七年頃から請負った常磐線の工事でも土工用トロリー(トロッコ)を使ったという。
トロッコが登場するまで、トンネルや運河の掘削などで大量に出る土砂や、炭鉱から掘り出した石炭などは、猫車と言われる手押しの一輪車に載せて運んだり、縄や竹などを網状に編んだ「もっこ」という運搬用具に棒を通して、前後二人で担いで運んだりしていた。
トロッコの登場で、トンネル掘削で出る土砂や岩石などの搬出の効率は格段に上がっていったのだった。
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