「土木事業者・吉田寅松」52 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略
コンクリート製の見返し坂碑
黒川荘三は、鉄道が開業間もないころに明治新政府の要人が鶴見駅に降り立ち、富士山の眺望を求めて歩いた由緒ある「見返し坂」の起源を末永く伝えることを願って、大正十三年十月十七日に「見返し坂」の碑を建てた。
当時としては珍しいコンクリート製の碑は、俳句仲間の吉川兼次郎が製作し、碑文は黒川荘三が書いた。鶴見川鉄橋工事に携わった鉄道技師の斎藤精一郎から西洋漆喰(コンクリート)の使い方を学び、コンクリート細工に妙を得ていた吉川兼次郎は、無機質なコンクリートの表面に色とりどりの小石を配し、デザイン的にも優れた美しい碑に仕上げた。
碑の正面には「西 ミ可へし坂 東 見返し坂」。右側面に「中坂天王院・□□坂・大池・熊野神社・稲荷山・諏訪坂・鎧池・民衆花壇・二本木不動・白幡神社・松蔭寺・里美義高入道墓・建功寺・仏寿禅師之墓」、左側面に「新旧国道・鶴見停車場・成願寺・子生観音・花月園・八幡山・花香園・鶴見神社・鶴見総持寺・手枕坂・安養寺・三笠園・滝坂不動・□□□・潮見橋・杉山神社・正泉寺・慶岸寺」と当時の名勝旧跡を刻み、背面に黒川荘三(鶴園)の和歌と吉川兼次郎(兼本)の俳句を刻んだ。
うらゝけき秋の朝日の登るらむ くすのうら葉を見返しの坂 鶴園
東西の志るべ石あり
葛の花 兼本
見返し坂の碑は、成願寺山門の向かい側にあった吉川兼次郎家の前、現在のパーライトビルの入口に建てられたが、昭和三十九年に吉川家の移転に伴い、總持寺境内、鶴見・獅子ヶ谷道路沿いにたつ大きな「山神塔」碑の隣に移設された。
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