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「土木事業者・吉田寅松」㉛ 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略

掲載号:2021年9月30日号

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奥州線開通 東京-青森間が約1日に

 強固な岩盤を開削したり、激流に橋を架けたり、土木作業は常に危険と背中を合わせながら、厳寒の中、吹雪の猛威にさらされながらも、当局の信頼の厚い吉田組や鹿島組を中心に、互いに負けず劣らずの目覚ましい勢いで工事をすすめた。

 当時、米一升の値段は五銭ぐらいで、作業員の賃金は一日二十銭だった。重労働に従事する作業員は一日五回、夜間工事があると、さらにもう一回夜食をとるので、工事現場近くに設けた宿舎のまかない方は、息つく暇もなく炊事に追われていた。

 業者間の競争意識も幸いして、日本鉄道会社の奥州線(現在の東北本線)は、明治二十三年十一月に盛岡まで開通させ、盛岡で盛大な開通式が行われた。

 奥州第五区間の盛岡・青森間(現在の青い森鉄道)は、明治二十五年に工事に着手した。小繋付近から岩手県の北上山地を源流とし、青森県八戸市で太平洋にそそぐ馬淵川の本流にそって八戸にいたる間の高地には急峻な山や谷が多く、トンネルや橋梁工事が多かった。四十分の一の急勾配もあった。八戸近くからは、山地をさけて海岸寄りを北上し、野辺地、小湊を経て青森へと鉄路を伸ばした。

 鉄道建設に必要な資材は、東京や横浜などから船で運び、小湊駅近くの浅所で陸揚げし、小湊までは資材運搬用の支線で運んだ。

 奥州線は明治二十四年九月に青森まで延伸し、上野・青森間が全線開通した。鉄道が開通する前、東京から青森へ行くには、奥州街道を歩いて二十日を要したが、汽車に乗れば約二十六時間半で着くようになった。

 「鉄道唱歌」には、「勇む笛の音いそぐ人 汽車は着きけり青森に 昔は陸路二十日道 今は鉄道一昼夜」「むかしは鬼の住家とて 人のおそれし陸奥(みちのく)のはてまでゆきて時の間に かえる事こそめでたけれ」と歌われている。

 鉄道の開通により沿線に産業を生み出し、経済活動も活発になり、日本各地で鉄道建設がすすめられるようになった。
 

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