「土木事業者・吉田寅松」【10】 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略
鉄道唱歌にも歌われた碓氷峠
大和田建樹の『鉄道唱歌』北陸編に「これより音にききいたる 碓氷峠のアブト式歯車つけておりのぼる 仕掛は外にたぐいなし」と歌われたアプト式碓氷鉄道線の開通により、馬車鉄道で二時間半かかっていた碓氷峠越えが八十分に短縮され、輸送力も格段に増えた。
だが、鉄道唱歌には、「くぐるトンネル二十六 ともし火うすく昼くらし いずれは天地うちはれて 顔ふく風の心地よさ」とも歌われている。十一・二キロの区間に二十六のトンネルがあり、トンネルを抜けるとまたトンネルが続き、急こう配を上る蒸気機関車の吐き出す煤煙で、吐血や窒息に苦しむ乗務員の健康被害が問題になった。
日本初の電化区間に
明治四十四年に横川駅の近くに火力発電所が建設され、明治四十五年に横川・軽井沢間が電化され、所要時間も四十分に短縮された。この区間が、幹線鉄道の中で日本初の電化区間だった。
昭和三十八年に一般的な粘着方式による碓氷新線が開業し、アプト式鉄道は廃止された。
昭和四十一年には複線化され、碓氷峠を登り横川駅から軽井沢駅に向かう下り列車が二十四分、軽井沢駅から横川駅に向かって峠を下る上り列車が十七分に短縮された。
しかし、登り坂では後押しをし、下り坂ではブレーキの役目をする補助機関車を二両連結するために電車は、碓氷峠の麓にある横川駅で長時間停車した。
全国一、峠の釜めし
横川駅で停車している間に、益子焼の土釜に入った駅弁「峠の釜めし」が、全国一の人気を誇るようになり、飛ぶように売れた。
我が家も子供たちが小学生のころに何度か軽井沢を訪れたことがあり、電車で行った時は、必ず横川駅で峠の釜めしを買っていたことを懐かしく思いながら、吉田寅松の吉田組は、どのあたりの工事を請け負ったのだろうかと想像をめぐらしている。
平成九年に長野新幹線(北陸新幹線)の高崎・長野間の開通により信越本線の横川駅・軽井沢駅間が廃止され、JRバス関東の碓氷線のバス運行になった。
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