後世に向け 釜石レポート(下)
8月2日〜4日まで、岩手県釜石市に運行した瀬谷区社会福祉協議会のボランティアバス。東日本大震災の被災地を支援する目的で3年前から始まり、今回が4回目。本紙記者が同行したレポート第3弾。
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釜石市の中でも津波の犠牲者が最も多い鵜住居町(うのすまいちょう)。当時、市の社会福祉協議会事務局長を務めていた矢浦一衛さんの案内で、200人以上が犠牲になった同地区の防災センターへ。市の指定避難場所ではないが直前の避難訓練で使用していたため、多くの人が逃げ込み津波に飲まれた。矢浦さん自身も部下や仲間を亡くした辛い場所だが、「後世に伝えていかなければ」と話す。むき出しになった鉄骨や2階天井近くに残る津波の形跡が甚大さを物語る。
センター内に設けられた祭壇には子どもの字で「まってるね」と、今も行方不明の家族などに向けたメッセージや絵があり、涙を流しながら黙とうする人も。遺族の意向で10月に解体が決まっているが、「この目で見たことは大きい。瀬谷に戻って感じたことを伝えていきたい」と昨年に続いてボランティアバスに参加する区役所職員の堀江さんは話す。
一方で、小中学校にいた生徒は自主的に高台に逃げこみ、学校にいた多くが助かった。三陸地方には「津波てんでんこ」(てんでんばらばらにの意)という言葉がある。津波が来たら自分の責任で早く高台に逃げろと、家や学校で昔から伝えられてきた。
「奇跡と悲劇」と称されている2つの事例。紙一重を分けた原因はどこにあるのか。そこから自分たちにできることは何か考えていきたい。(終)
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