クローズアップ ゆりストアが50年
地元スーパーのパイオニアとして地域の物流の中枢を担ってきた「ゆりストア(百合ヶ丘産業株式会社)」が50周年を迎えた。
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現在の「ゆりストア」の前身「ゆりが丘ストア」が区内百合丘1丁目1番地に開店したのは昭和35年8月。周囲の造成が進み、小田急線百合ヶ丘駅が開設されたのと同じ年の出来事だった。
近隣には約4000世帯の百合ヶ丘団地が新築され、約1万人が次々と転居してくるのと時を同じくして開店した同店。周りにはまだ商店が数件あるだけの地域に、当時としては画期的な”セルフサービス方式”のスーパーマーケットとして産声をあげた。
「オープン当初は人、人、人で、日に3回も入場制限を行ったほど。天井まで積まれた醤油や砂糖、塩などがあっという間になくなった。商品のダンボールをあけてもあけても間に合わなかった」。当時のことを知る人たちは口々に話す。
戦後復興の好景気に沸き、都心でこそ様々な商品が出回るようになっていたが、麻生区にはまだまだ物流のネットワークが確立されていなかった時代。創業者の笠原博氏らは販売する商品の確保に奔走する。新宿、銀座、日本橋など各地に出向き、当時としてはまだ珍しかったパンや洋菓子などを仕入れた。
「少しでもいいものがあると聞けば何でも調べに行った。交渉も当時は大変だったと思う。まだまだ我々スーパーは商品を卸してもらう立場だったから」。創業者の長男で二代目の社長を務めた笠原勝利さんは父の奮闘ぶりを振り返る。
笠原博氏らの時代を創成期と捉えれば、勝利さんが舵をとった昭和50年代からの約10年間は拡大期。柿生や王禅寺など新たに7店舗を増やし、青果専門店などの新業態にも挑んだ。地域にも目を向け、売り上げの一部を学校に教材として寄付する「まごころセール」の仕組みを築いたのもこの頃。豊かなアイデアと行動力で元来のスーパーマーケット経営に”地域貢献”の風を吹き込んだ。
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「いつでも地域とともにあること」―。創業から半世紀を迎えた同社には今でもその精神が脈々と受け継がれている。
今年で29回目を数える「全国児童画コンクール」への参加もその活動のひとつ。地元小学校から約4000枚の児童絵画を集め、全国規模のコンクールへ出品している。
「今回も私たちの店舗に応募してくださった多くの作品が賞をいただいた。子どもたちの才能や、未来を育む小さなお手伝いができれば」と担当者は話している。作品は今月20日から31日までの間、百合丘本店2階の特設会場で展示される予定。
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