「日本の父親像遺したい」 中村正義の記録映画監督の武重邦夫氏に訊く
故郷の日本画家・中村正義の足跡を辿る記録映画の製作が区内の有志を中心に始動している。同映画のプロデューサーを務め、71歳になった今も映画づくりに奔走する武重邦夫氏(日本映画学校相談役)に話を聞いた。
「積年の思い、ようやく形に」
「中村さんはね、本当にいい人間だった。男としても父親としても彼より素晴らしい人間はいない」―。
中村氏の映画を撮ることに積年の思いを募らせていたと語る武重氏は、ポツリポツリと話し始めた。
中村氏との出会いは、今から40年以上前のことだ。まだ20代だった武重氏は師事していた今村昌平監督とともによく細山のアトリエを訪れたという。
「自身の病や日本画壇を取り巻く体制と闘いながら創作に打ち込む力強さと、周囲の人に見せるとてつもない優しさを兼ね備えた人物像に皆虜になった」
今村昌平監督と中村氏の間では幾度となく映画の構想が持ち上がったが、77年、中村氏が52歳で亡くなると、”巨匠同士の夢”は長い封印に閉ざされることとなった。
武重氏と中村家との接点も一度は途絶えるが、両者は数年後、ふとしたきっかけから再び結び付けられることとなる。映画人として、地域の恒例イベント「しんゆり映画祭」に携わるようになった武重氏は、実行委員会の仲間から細山にある小さな美術館の話を聞かされた。
「細山にいい美術館があるって聞いた。最初は中村さんと全然結びつかなかった。しかし、よく考えてみると、そこはあの、昔よく通ったアトリエがあった場所だったんだ」。懐かしい気持ちで訪れたアトリエには、中村氏の長女・倫子さんの姿があった。壁に飾られた無数の絵画は、当時と変わらず力強いエネルギーを放っていたという。
「当時のことが次々と思い出された。40年前、確かにここで、異才が闘っていた」
倫子さんが語る父親としての中村氏の姿は、自身の記憶に鮮烈な印象として残るその人物に奥深さを与えてくれた。「2人で話していると、ある瞬間に中村氏という存在が近くなったり遠くなったりする。私はおろか、娘である倫子さんでさえとらえきれていないその人物像をきちんとした形で遺そうという気持ちが強くなっていった」
倫子さんが父の没年を超えた一昨年、武重氏は倫子さんにきりだした。「私はね、色んなものと闘いながら、大切なものを守りぬいた中村さんに、日本人が忘れかけている強い父親像を見出している。ここに、こんなに素晴らしい人が居たのだということをしっかりと刻まないか」
こうして、異才の画家を辿る一大プロジェクトは始動した。武重氏は言う。「これは私の集大成として、出来る限りの心血を注ぎたい。ひとりの画家をめぐる旅が、私たち日本人に、多くのことを語りかけてくるだろう」
現在、撮影は川崎市内をはじめ、中村氏の故郷である愛知県豊橋市などでも敢行されている。内容は倫子さんが父親の足跡を辿るドキュメンタリー。作品名は『父をめぐる旅』。
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