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    第109回 シリーズ「麻生の歴史を探る」徳川入府(5)〜増上寺領王禅寺

     天正十九年(1591)江戸に入った徳川家康は、江戸周辺に徳川恩顧の武士に知行を与え旗本とします。したがって現麻生区の村々は、今川・織田・武田・上杉などの徳川知...(続きを読む)

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    第108回 シリーズ「麻生の歴史を探る」徳川入府(4)〜領主と農民 後編

     【前号から続く】この上麻生村の領主三井佐右衛門吉正は元武田家の家臣で屋敷がなく、麻生の郷士小島隼人(佐渡守の孫)屋敷に13年間寄寓していたと云われ、書留帳によ...(続きを読む)

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    第106回 シリーズ「麻生の歴史を探る」徳川入府(3)〜検地(お縄内水帳) 後編

     【前回から続く】 こうした徳川氏による天正十九年の初期検地は岡上村だけではなく、市内では下小田中・井田・苅宿・高石でも行われております...(続きを読む)

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    第105回 シリーズ「麻生の歴史を探る」徳川入府(3)〜検地(お縄内水帳) 前編

     関東に領地を得た徳川家康は直ちに領内の検地を始めます。検地とは今でいう国土調査で、通常検地の方法は、1間が6尺1寸〜5寸(年代によって異なる)とする検地竿を使...(続きを読む)

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    第104回 シリーズ「麻生の歴史を探る」徳川入府(2)〜幕府の知行 後編

    【前回から続く】 五力田・古沢村は江戸初期片平の前場氏の知行下にありましたが、寛永元年(1624)朝倉織部の知行地になりました。この朝倉...(続きを読む)

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    第103回 シリーズ「麻生の歴史を探る」徳川入府(2)〜幕府の知行 前編

     天正十八年(1590)江戸に入った徳川家康は城下町を拓き、江戸近郊に徳川恩顧の家臣に知行地を与え旗本領とし、検地を実施、慶長八年(1603)徳川幕府開設時には...(続きを読む)

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    第102回 シリーズ「麻生の歴史を探る」徳川入府(1)〜士農分離 後編

     【前回から続く】このことは戦国以来、農地を耕しながら戦をしてきた土豪にとっては大変な改革で、その多くは田畑は捨てきれず、刀を捨てて村の庄屋、名主などになってい...(続きを読む)

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    第101回 シリーズ「麻生の歴史を探る」徳川入府(1)〜士農分離 前編

     北条氏が小田原を開城し滅亡したのが天正十八年(1590)七月。翌八月には徳川家康は関八州の領主として、三河以来の譜代家臣に護られ中原街道を小杉の渡しから江戸城...(続きを読む)

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    第100回 シリーズ「麻生の歴史を探る」沢山城と七面山 後編

     【前回から続く】それではこの沢山城の城主は誰だったのでしょう。家老阿部某の居住する岡上は、小田原役帳には領主福嶋四郎右衛門と記されていますが、此処には在地の有...(続きを読む)

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    第99回 シリーズ「麻生の歴史を探る」沢山城と七面山 前編

     新編武蔵風土記稿岡上の阿部の原の欄に「三輪村に城山と云う所あり・・・(略)・・・如何なる人の守りし城か伝えず、その人の家老に阿部某がおり、その人此処...(続きを読む)

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    第98回 シリーズ「麻生の歴史を探る」北条氏関東支配(6)〜北条氏滅亡 後編

     【前回から続く】謙信、信玄が死に、織田信長が没し、豊臣秀吉の天下統一小田原城攻めは天正17年(1589)11月に始まっています。それより前の天正13年、小田原...(続きを読む)

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    第97回 シリーズ「麻生の歴史を探る」北条氏関東支配(6)〜北条氏滅亡 前編

     永禄二年小田原衆役帳ができ、伊豆・相模・武蔵の北条氏の治世は徳政と言われたようです。だが戦国の世のこと、それは長く続くものではありませんでした。最初に陰りを見...(続きを読む)

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    第96回 シリーズ「麻生の歴史を探る」北条氏関東支配(5)〜北条検地 後編

    【前回から続く】 そこで、当時この地方の農民(庶民)の生活経済を資料で探ってみますと、田畑の売買を許された農民の経済は、米1俵が300文...(続きを読む)

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    第95回 シリーズ「麻生の歴史を探る」北条氏関東支配(5)〜北条検地 前編

     戦国大名領国支配の施策は検地で、北条氏の場合、代替わり検地と称し、当主が替わるごと検地が行われたといわれますが、前項、寺家・鴨志田の様にその限りではなかったよ...(続きを読む)

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    第94回 シリーズ「麻生の歴史を探る」北条氏関東支配(4)〜印判状

    【前回から続く】 そこで気が付くことは、通常文書の宛名は「殿」としますが、この文書は大曽根飛弾守「江」としており、その理由は何なのでしょ...(続きを読む)

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    第93回 シリーズ「麻生の歴史を探る」北条氏関東支配(4)〜印判状

     天正12年(1584)11月北条氏は麻生の王禅寺に3通の文書通達をしています。その一つは、小田原城主氏直が王禅寺に与えた安堵状で、「武州都筑郡麻生郷の内、王禅...(続きを読む)

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    第92回 シリーズ「麻生の歴史を探る」北条氏関東支配(3)〜小沢ヶ原 後編

    【前回から続く】 これらの印判状は早雲、氏綱の時代から始まりますが、麻生に関わるものを見てみますと、まず天文15年(1546)北条氏康が...(続きを読む)

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    第91回 シリーズ「麻生の歴史を探る」北条氏関東支配(3)〜小沢ヶ原 前編

     こうして設営された小机城を主城とする支城は鶴見川の中下流にあり、その上限は荏田城で、麻生、南多摩の地にはその名を見せません。そのことは、北条氏のこの地方の領土...(続きを読む)

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    第90回 シリーズ「麻生の歴史を探る」 北条氏関東支配(2)〜小机支城 後編

     【前回から続く】 「佐江戸城」は現中原街道に面する広大な城郭で大永年間(1520年代、氏綱時代)猿渡内頭守が築いたとされ、風土記による...(続きを読む)

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