つながるから空間生まれる
箱根の芸術家飯室哲也氏
2年に1回の、美術展示を通じた町おこしを意味する「ビエンナーレ」。これを来年11月に小田原で開催しようと奔走している芸術家がいる。芦ノ湖を望む高台にアトリエを構える飯室哲也さん(65歳)だ。作品が保管してある一室は、人が入り込めないほどモノが詰め込まれていた。何かを塗った缶や、木の枝。愛しそうに抱える石は、普通に建材にも見える。それらを見て、あまりにも身近なモノに記者も感想に困った。しかし飯室さんが会場にレイアウトすると、単体の品々が星座のように語りかけてくる。枝は枝を支え合い、よく見るとばらばらだった品々がつながっている。丸太は部屋の床から生えるようにも、パイプは部屋を貫通しているようにも見え、四角い箱だった部屋の壁の向こうの空間を伝えてくれる。敷かれた板や布も池や穴のようだ。あちこちから眺めるうちに、観る側の自分の体が動かされているのに気づく。
1947年山梨県甲府市生まれ。中学校の図工で入選した程度で「天才」ではなかった。高校の美術部を経て武蔵野美大で油彩を学び、帰る下宿には絵具の臭いが染み込んだ。日本画壇の重鎮でもある師匠からは「これでは絵描きにはなれない」と激が飛ぶ。心の中でつぶやいたのは「芸術家なら、いいだろ」。油彩の腕を磨きながら、絵とは違った物体を使った「インスタレーション」の創作に励むようになった。30歳を過ぎたころからこうした「インスタレーション」製作が本格化。県内をはじめ東京や静岡など数々の彫刻展に出品、小田原の旧片浦中学校校舎もキャンバスに作品を創り上げ、話題を呼ぶ。「空間がまとまるまで10年かかった」と目を細めた。箱根に移住して鮮やかな紅葉や新緑に包まれてからは抑制的な色だった作品に彩りが加わった。1カ月前に、来年をにらんで「プレ・ビエンナーレ」を開催。作家仲間と清閑亭やなりわい交流館に作品を創り上げた。「現代美術展をこの地に定着させたい。若い世代に引き継いでほしいんです」。美術は美術とつながり、町が町とつながる。キャンバスは広がるばかりだ。