故人の遺品を片付ける「思い出事業部」を運営し、各地で講演なども行う 菅井 陽子さん 阿久和東在住 66歳
「思い出」に寄り添い続け
○…「ないない尽しから始まった」40代。借金返済のため専業主婦から一転、家族を思う一心で男だらけの世界へ飛び込んだ。家屋解体業に従事するなか、2000年に「有限会社菅井商会」を立ち上げ、現在は遺品を片付ける「思い出事業部」で故人や家族の思い出に寄り添う。「何かのために働くのではなく、今は自分のために働きたい」と語る口調は穏やかながら、確かな思いが滲む。
〇…西区南幸町出身の「ハマっ子」。刻々と変わる横浜駅西口の様子を横目に通学していた小学校時代を振り返り、「勉強しなさいと言われるのが嫌で、よく親に反発していた。もっとちゃんとやっておけば良かったかな」と苦笑い。それでも「自分は戦前の親に育てられた最後の世代。古き良き日本を教えてくれたことに感謝している。その時のことが子育てや仕事に生きている」と目を細める。
〇…23歳で結婚し、瀬谷区へ。専業主婦として日々過ごすなか、突然、夫の事業の失敗で1億円もの借金を抱えることになった。「2人の子どものために、何とか生活しなければ」と知人の紹介で家屋解体の見積もりや現場の段取りを組む仕事を始め、昼夜問わず働く毎日。「人の話をよく聞くこと、綺麗な敬語を使うこと」を常に心がけ、肩書きに頼らず自分にしかできないことを追求し、いつしか「自分のためにある仕事」と思えるようになっていた。02年に「思い出事業部」を立ち上げたのは、依頼者の亡くなった家族の遺品を片付けたことがきっかけ。「ご家族には故人の品々が役目を終えたと伝える。形見分けをして、身内に限らずもらい手を探すことも」。縁を生かし、人と人とを繋ぐことも仕事の一つだ。
〇…「余裕のあるおばあちゃんでいたい」。4人の孫の話になると一段と穏やかな笑顔をみせる。年4回は、横浜を離れ一人旅。「訪れた先での出会いも楽しい」と、現役キャリアウーマンは生き生きと笑った。
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