熱血市政レポート 瀬谷区を横浜の西の玄関口に! 上瀬谷基地接収と二ツ橋北部区画整理事業(その二)横浜市会議員 花上(はなうえ)喜代志
『二ツ橋北部区画整理事業はどうなる』
瀬谷区の発展を阻害してきた「瀬谷の二重苦」の第一は米軍の上瀬谷基地接収であったことは前回述べました。今回は二つ目の要因である「二ツ橋北部区画整理事業」を取り上げます。
昭和33年に都市計画決定された二ツ橋北部整理事業は、相鉄線の北172ヘクタールに及ぶ広大な地域が都市計画法によって網がかけられ、住民の自由な土地利用が制限されました。
ようやく市の事務所を設置
私が横浜市議に初当選後、その実態を調べ、数十年経過したにもかかわらず未着手で、住民の権利を制限したまま放置しているのは行政の怠慢であるとして議会で追及しました。
その後、市は昭和63年から12年かけて瀬谷駅北部の8・9ヘクタールの整備は行いました。しかし、残りの163ヘクタールは未着手のままであったので、横浜市都市計画審議会でもこの問題を取り上げました。
再三にわたる私の追及に対し、ようやく7・6ヘクタールの事業化を決定、総額140億円をかけて平成35年度完成を目指すことになり、今年5月、二つ橋小学校前に横浜市の事務所を設置しました。
大半は50年たった今も未着手
都市計画決定から50年、今なお156ヘクタールは未着手となっており、地権者の自由な土地利用は制限されたままです。
瀬谷区の発展にとって貴重な土地、上瀬谷基地242ヘクタール、二ツ橋北部172ヘクタールの計414ヘクタールという広大な面積(瀬谷区の面積の24・2%)が、市民の自由な土地利用や町づくりに制限が課せられていたのです。
上瀬谷基地が昨年6月、日本に返還され、また二ツ橋北部の残りの土地利用がどうなるのか、それによって瀬谷区の今後の発展が左右されるのです。
「瀬谷の二重苦」を克服し、「横浜の西の玄関口」にふさわしい町づくりを進めていくために引き続き頑張る覚悟です。
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