阿久和地区センターの館長に就任した 井上 雄太さん 西区在住 60歳
垣根を超え交流の場築く
○…利用者から直接「ありがとう」「よかった」と声を掛けてもらええることに喜びと責任を感じる。「多くの人に喜んで使ってもらえる施設として、これまでスタッフらが培ってきた雰囲気を保っていかないと」と身を引き締める。
○…板橋区生まれ、横浜育ち。記憶に残っているのは保土ケ谷区に移り住んだころから。スポーツが得意で、小学3年生から始めた水泳は横浜市で2位になり、県大会では中学校のスカウトマンに声を掛けられた。「実は水泳が嫌で嫌で、声を掛けられたことは親にだまっていた」と笑う。中学2年生の時に先生から誘われバドミントンを始めた。高校では横浜市で個人で優勝。「とにかく楽しかった。もっと勝ちたいと練習にのめり込んだ」と振り返る。
○…大学卒業後、横浜市に就職。入庁4年目の1990年には広報課に配属となり、テレビやラジオなどの媒体を通じ市の魅力をPRした。パシフィコ横浜、八景島、国際プールなどが完成した横浜の変動期を担当。「街が劇的に変わる時で今でも印象に残っている仕事」。ほかにも教育委員会事務局で横浜サイエンスフロンティア高校の設立準備に携わった。
○…05年には戸籍登録係長として瀬谷区で勤務。「地域のコミュニティが活発で、つながりの強さ」を感じた。今でもその感想に変わりなく、「地域の特性を活かし、年齢、性別、国籍、障害の有無にかかわらず交流できる場にしたい」と願う。バドミントンは45歳まで続け、28歳の時には市職員で組織するバドミントンチームで全国大会にも出場した。今春、定年退職となり、「館長となり気が抜けない日々だが、少しずつ体を動かしたい。久しぶりにラケットを握ろうと思う」とほほ笑む。
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