柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第90回 シリーズ「麻生の歴史を探る」 北条氏関東支配(2)〜小机支城 後編
【前回から続く】
「佐江戸城」は現中原街道に面する広大な城郭で大永年間(1520年代、氏綱時代)猿渡内頭守が築いたとされ、風土記によると、この人は土豪猿渡佐渡守の一族と記し、土地の豪族が小机衆となったことを示しております。「茅ヶ崎城」も風土記には「多田山城守行綱が館蹟なりと云い伝う」と記してあり、大永四年(1524)氏綱が改造したと伝承されていますが、この城跡は港北ニュータウンに含まれ、開発者によって城の機構が復元され、ガイド板が設けられ、中世の城郭を知る貴重な城跡公園となっています。
「荏田城」は旧鎌倉街道中の道にあり、義経の臣江田源三の城から、中世都筑の御家人の根拠地とされた城で、交通の要所で小田原北条時代改造されたと思われますが、城将はわからず、城跡は在家地主(5名)によって現在も自然保護されています。なお、市ヶ尾には氏康から所領を得た上原出羽守、青砥(中山)にも領主(北条家臣)勝部正信の後裔が今に残り、恩田川の「榎下城(久保)」は旧城寺境内の小城で、境内の石碑に「山田右京之進城跡」とありますが、山田氏については不明で、此処には文明年間(1469〜87)上杉一族の館が在ったと伝承されており、北条氏に押収されていったのでしょう。
川崎市域の宮前区「有馬城」は、古来この地を城山と呼び、土豪持田氏の屋敷跡で、後に北条桶の臣窪田又五郎なる者が屋敷を城塁に改造したといわれ、「井田城」(現中原養護学校)は、これも北条家の臣中田加賀守が旧蹟を修復して居城とした、と風土記は述べています。
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