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生涯「秘密箱」職人まだ手は動く

社会

公開:2016年12月2日

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 一見すると普通の木箱。すぐに開けられそうだが、どこを探しても蓋らしきものが見当たらず、簡単には開かない。「秘密箱」といえば、箱根町民ならおなじみだろう。秘密箱を長年作り続けた二宮義之さん(87)を訪ねた。

作品を叩き壊した父

 湯本の築80年の建物は使い込んだ建具に囲まれ、ノミやカンナがずらり。職人が差し出した「箱」に記者が四苦八苦していると「ここを押してごらん」と秘密を明かしてくれた。

 二宮さんは湯本尋常高等小の頃から家業を手伝い始めた。父・儀之助さんは秘密箱の創始者とも言われる指物職人・大川隆次郎の流れを組む工房で修行した職人で口癖は「学校が終わったらすぐ帰ってこい」。二宮さんは卒業後、家業から逃げたい一心で平塚の軍需工場入りを決めた。配属先は航空機プロペラの試作部門だったが、入社当時にはあった材料のジュラルミンは、物資不足で次第に木材へと変わり、心の内で戦争の先行きに気付いたという。工場は空襲で焼け、終戦を迎えた。

 箱根に帰ってみると、意外な事に家業の秘密箱造りが忙しくなっていた。進駐軍の土産として発注が舞い込むように。明るい兆しが出てきたものの、父の厳しさは相変わらず、二宮さんが作った品を突然金槌で叩き壊す事もあった。「どこが悪いの、って聞いても教えてくれない。『自分で確かめろ』『直せ』とね」と目を細めた。サラリーマンのように定収入があるわけではなく、旅館に栄養ドリンク剤を売り歩くなど、副業もこなした。

力作を買ってくれた人

 長年連れ添った妻のマサ子さんは27年前に他界した。お見合いで一目ぼれし、白無垢姿がまぶしかった妻は、その後旅館のパートで働き、家を支えてくれた。「俺は肩身が狭かったけど、本当に助けられた」。作品を展示会で売り続けているうちに「良いモノを残したい」という思いも膨む。そんな背中を見てマサ子さんが察したのか、ある展示会で「私が買うよ」とお金を出してくれた事もあった。

 昭和46年、あるデザインコンクールに家具を出品したところ、特別賞に輝いた。20年以上も作り続け他人に認められたのはこれが初めてだった。自宅の一角に賞状を飾った実演コーナーを作り、通りがかりのハイカーを招き入れては1時間ほど作業について語った。気付くと何も売れていない日も多かった。代表作のひとつに、秘密箱の中に秘密箱を内蔵した「ダブルシークレット」がある。これは米国のパズル愛好家の間で話題となり、オークションで取引されたり、海を超えて問合せが来るようになった。そんな人気商品も、今では作ることができない。

今の口癖は「悔しい」

 1年前、作業中に握っていたノミを落とし、脳梗塞が判明。数カ月リハビリを重ねた結果、ようやく握れるようにはなった。それでも肩から指先まで痺れ、材料を押さえられなくなった。「仕事できないのは悔しいね。『生涯現役』が口癖だったのに、ただ飯食らってテレビ観てるんだよ」と天井をあおぐ。外出先で自分ではない誰かが作った秘密箱を手に取ると、カタカタ音をたてる事がある。「隙間なく美しく仕上げないといけないのに、カンナも使えない職人がいる」――本物について一通り語り終えると「これあげる」と、おもむろに1枚の栞(しおり)を取り出した。寄木を削った「ズク」にリボンを通し、ゆっくりと細いビニール袋に納める日課は、手の訓練の一環。「箱を作りたいよ」。生涯現役とは言わずとも生涯職人であり続ける。まだ終わるわけにはいかない。

父・儀之助さんの遺作である本型の秘密箱(非売品)
父・儀之助さんの遺作である本型の秘密箱(非売品)

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