真鶴町議ら "逃げ道"を調査
真鶴町では先月25日、町議11人が「津波ハザードマップ」を歩いて検証した。これは数年前に県が製作したもので、浸水被害を色分けし、避経路も示されている。しかし今回東北を襲った津波はこのマップの想定をはるかに超える規模だった。検証の結果、真鶴港付近から高台のまなづる小まで所要時間が最短8分、車椅子で18分かかることが判明。経路には古い家屋や石垣も多く、地震で崩れる可能性もあるという。参加した町議の一人は「まっすぐ高台に駆けるためには避難階段や夜間避難用の誘導灯などが必要。子供でも分かる海抜表示をペンキで地面に引くといった対策を検討すべき」と話す。調査結果は議会でまとめ、行政への提案に生かしてゆく。
町史に残る真鶴の津波
先月11日の地震発生時、町議会では一般質問が開かれ、折しも津波対策について質問の最中だった。町の消防関係者や町議員によると、岩地区をはじめ海岸近くの町民の大部分が避難しなかったという。大波が押し寄せることは無かったものの、県温泉地学研究所(小田原市)の計測機器は真鶴港での津波を克明に記録した。地震後30分で約1㍍の波が到来、その後潮は2㍍引き、30分間で再び2㍍上昇している(上図参照)。真鶴は関東大震災の津波で78戸が津波で流された過去をもつ。町史によれば、電柱や石垣が倒壊し激しい土煙で一寸先も見えなくなり、飛べなくなった雀が地に落ちてきたという。港は潮が引き干潟のようになり、次いで大波が押し寄せた。当時を記録した「真鶴夜話」には「赤ちゃんを流し、お母さんが助かった」といった悲惨な話も残っている。