箱根・湯河原・真鶴版
公開:2018年4月20日
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湯河原海岸前の向笠進さん(81)宅にこのほど、日本地図を作成した伊能忠敬の木製碑が立った。
元高校教諭の加藤雅喜さん(69)が2年前に古い文献を閲覧していたところ、湯河原や真鶴の地名とともに忠敬が泊まった「名主彦右衛門」の名前を発見。その後、子孫の向笠さんを突き止めた。忠敬は約217年前の享和元年、調査のために小田原方面から岩や真鶴、福浦を経て吉浜村に入った。彦右衛門宅について「新畳にて奇麗なり」という感銘を書き残している。また15年後の日記によると、忠敬の測量隊(この時は忠敬不在)が再び湯河原を通り、門川村の名主・与次右衛門宅で休憩した記述もある。加藤さんは子孫の富岡一夫さんも探し出し、埋もれた歴史を伝えた。「降ってわいたような話」と振り返る向笠さんの家は、関東大震災で住宅が大破し、当時を伝えるものは何もない。しかし「彦右衛門」の名は代々家の主が襲名してきたという。
加藤さんは一人で「伊能忠敬測量隊研究会」を結成、今後は根府川や真鶴など忠敬の足跡を調べる計画もある。「お遍路のような町歩きにつながれば」と語っていた。