HISフォーラム2011in高崎で病院広報企画賞を受賞した 尾作 委砂子さん たま日吉台病院勤務 56歳
地域と医療の架け橋に
○…「今一番必要なことは何か」―常にそのことを考えて行動してきた。たま日吉台病院で、人の命を守る「医療安全管理者」に就いて早1年。病院全体を見渡すうちに見えてきたことは、「地域コミュニケーションの重要性」だった。「病院は一生に数回の、最も辛い時間を過ごす場所。日ごろから地域とのコミュニケーションをとり、病院の負のイメージを払拭したかった」
○…1955年、東京生まれ。中学2年生のときに大病をわずらい生死の境をさまよった。高校を卒業後は化粧品販売の職に就くが、25歳で医療の道を諦められずに看護学校に通い始める。仕事をしながら2人の幼い子どもを育て、看護学校に通う日々が数年間続いた。40歳で桐蔭大学法学部に入学。大学院に進み、医療事故の判例を読み漁った。横浜の病院を退職し、55歳でビジネススクールに。そのスキルを生かして昨年、たま日吉台病院で医療安全管理者の職に就いた。
○…休日は家族や3人の孫と過ごしたり、友人と温泉にいったりと充実した時間を過ごす。6ヵ月、1歳3歳と、まだ小さな孫と遊んでいると、疲れも忘れてしまう。成人した子どもたちからは「いつも勉強している勤勉な母親」だと言われている。「お母さんの姿を見て勉強しようと思った、と息子たちに言われたことは今でも忘れられない」
○…今年の8月、分院に小学生を招いて行った「AED&救急車を体験しよう」が評価され、「HISフォーラム2011」で表彰を受けた。「イベントを通じて、子どもたちが少しでも医療に興味を持って欲しいと思い企画した。看護婦さんになりたいという感想を貰ったときはとても嬉しかった」。今後の目標は要介護者と家族が、ゆっくりと時間を共有できる空間やサービスを作ること。「こんな物やサービスがあればいいのにという思いは尽きない。今後も、形は変わったとしても看護と地域に関わり続けたい」と意欲を燃やす。
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