かつて区内岡上の産業の中心だった「養蚕」から、地域の歴史を学ぶ講座が6月4日から、麻生市民館岡上分館で開催される。1カ月全5回にわたって、カイコの生態や、神社に大権現(だいごんげん)をまつるなどの「養蚕信仰」があった岡上地域の歴史をひもとく。同館の担当者は「カイコを育てて、いとおしみながら歴史を学んでほしい」と思いを語る。
講座の期間は、6月4日から7月2日までの毎週日曜。各回午前10時から正午。カイコを観察しながら生態を学ぶだけでなく、桑の葉を探すフィールドワーク、糸くりや繭玉アートなどの体験も予定されている。18日の第3回では、生田緑地の日本民家園を訪れ、岡上の東光院から移築された蚕影山祠堂(こかげさんしどう)や養蚕の道具を見学する。参加費は無料。カイコの飼育希望者には幼虫の販売も実施する。定員は15人で応募多数の場合は抽選。
申込みは26日(金)までに、同館窓口へ直接か、【電話】044・988・0268。
江戸時代から「信仰」
縄文時代から人々が生活していたとされる岡上。田畑が広がり、古くから農業が産業の中心だった。同館に残された資料によると、江戸時代から近隣の細山や高石、金程、五力田など低山地の村で桑が栽培され、養蚕が行われるように。岡上もその一つだった。
1859年に横浜が開港し、交易が始まると生糸が輸出されるようになった。津久井街道、鎌倉街道が「絹の道」としてにぎわい、岡上の生産量は近隣の中でも群を抜いていたという。
農家の収入源でもあった繭の豊作と、カイコの良好な生育を祈願するため、1863年、養蚕を営む地元民と東光院の僧侶によって、養蚕の神「蚕影山大権現」をまつる宮(くう)殿(でん)と覆堂(さやどう)のからなる「蚕影山祠堂」が同院に建てられた。旧暦2月23日(新暦3月23日)には祭礼を実施。東光院ではカイコの良好な生育を願う人たちのために護符も発行されるなど、養蚕信仰があつい地域だった。
1935年ごろに生糸相場の下落や、戦時体制下の食糧増産のために桑が引き抜かれ、養蚕は衰退。祭礼も40年ごろを最後に行われなくなり、戦後は養蚕を行う農家もわずかに。69年に蚕影山祠堂は川崎市に寄贈され、翌年に日本民家園に移築、復原された。
岡上分館の担当者は「当時を知る人は、もうほとんどいない。今回の講座で、地元と日本の歴史を知ってもらえたら」と話している。
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