箱根町宮城野・早川河岸 知られざる桜並木の"仕掛け人" 戦争前に鈴木利貞氏(日本評論社社長)が苗木植える
4月になると桜まつりで賑わう宮城野。早川河岸の壮麗な桜並木は一体誰が計画したのか、記録も知る人も少ない。本紙では昭和12年頃に苗木を植えたとされる鈴木利貞(りてい)氏について、関係者を辿り話を聞いた。
鈴木利貞氏(明治27年〜昭和42年)は岩手県出身で出版社「日本評論社」の代表だった人物。社長在任中に「経済往来」「社会経済体系」などを刊行、昭和13〜20年頃に河合栄治郎事件、横浜事件といった言論弾圧にも見舞われ、同社は「硬派」出版社と評された。 鈴木氏は昭和10年ごろ早川を一望する強羅の地に約3000坪の温泉付別荘を建設。釣りなどで川を訪れるうちに河川に桜を植えることを思いつき、宮城野の業者に植栽を依頼したらしい。また一説では「当時の町長(合併前)が川辺に桜並木を作りたがっている」と知り、構想に共感した鈴木氏が資金を出したという話もある。その後別荘は文部省に売却されたが、残った桜並木はすくすく育ち、春の箱根を代表する存在に。昭和30年代になるとテングス病の剪定などの手入れが始まり、以降町が世話を続けている。平成13年、近所に保健福祉センターが建設された際は「さくら館」の愛称がついた。
鈴木氏の業績について文献は乏しく、町内でも知る人はほとんどいない状態だが、親族は毎年、桜の健在ぶりを見に来ているという。取材に対し親族の一人は「名前は残らなくても、皆さんが花を楽しんでいるだけで、きっと故人は喜んでいますよ」と語っていた。
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