多摩区布田は昔、東京だった――。布田の小川米夫さん(70)宅の床下から2004年に出土し、川崎市市民ミュージアムに寄贈された「東京府」「調布町」の地名を示す基標。小川さんと同館の厚意で今年度、市立下布田小学校(千野隆之校長)に設置された。
石製の基標に記されているのは「東京府」と、「調布町下布田飛地 基標」という文字。出土した当時、市民ミュージアム職員は「東京府の人が作ったもので間違いない」との見解を示している。東京都は1868年から1943年まで東京府で、小川さん宅周辺がかつて東京府の飛び地だったことを示す証拠といえる。
同館の所蔵品だった基標を、千野校長が働きかけて借り受け、昨年11月に小川さんが設置。「下布田小のみんなに見てもらえるように」と2人で話し、児童が利用する玄関前に決めた。「千野校長と思いが合致し実現できた」と小川さんは喜ぶ。千野校長は「ここが昔、東京だったことが分かる貴重な記録。この場所に置かれていることに意味がある」と話す。
この歴史を児童たちに伝えようと、千野校長は市民ミュージアムの資料をもとに地名の由来などをまとめ、基標設置の経緯と合わせて解説文を作成。児童にも読んでもらえる案内板として掲示する予定だ。
資料によると、1889年に下布田村と周辺の8つの村が合併し、神奈川県北多摩郡調布町になった。1893年に北多摩郡は東京府に移され東京府北多摩郡調布町下布田になり、1912年に多摩川を東京府と神奈川県の境とし、飛び地を整理。下布田は神奈川県になり、38年に稲田町として川崎市に入った。
同校7代、12代PTA会長で、調布花火の協賛を続ける小川さん。「基標は歴史の流れを鑑みる一つの材料。川崎市と調布市の交流のきっかけになれば」と期待する。
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