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麻生区版 公開:2013年5月17日 エリアトップへ

柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第35回 「塚」を訪ねて(4) 王禅寺東の「経塚(きょうづか)」とは

公開:2013年5月17日

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 王禅寺東6丁目の東柿生小学校プール近くの角付近に、昔「経塚」があったといわれています。現在ではその面影となるものは全く見当たりません。いったいこの聞きなれない「経塚」とは何なのでしょうか?

 江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿の王禅寺村の項には「経塚 南にあり」と書かれていますから江戸時代からあったことは間違いないようです。

修験道と深い関係か

 一般的に、経塚と分かっているだけで全国に200カ所を超える地域に点在しています。主に北九州、近畿、関東南部の3地域に集中して存在しています。名前から考えてもわかるように仏教の経典を地中に埋め土盛したものですが、大きく分けると次の3種類に分類されます。【1】平安時代後期、末法思想(お釈迦さまが亡くなられて千年までを正法、二千年までを像法、それ以降一万年を末法といい、釈迦の教えが薄くなり世の中が乱れてくると考えられていた)が流行した頃に、不安定な世の中から身を守り、大切な経典を守るために地下に埋めた【2】中世(鎌倉時代)以降に追善供養(死者の冥福を祈ってよい行いをすること)を目的として、主に法華経を筒状の入れ物に入れて埋めた【3】修験者の多い地域に多く見られることから修験道に関する祭壇として追善供養のためにつくられた。

 一般的に経塚からは経典のほかに経筒、瓶、壺、鏡、利器(鋭い刃物)、合子(ごうし・ごうす=焼き物や金属などでできた蓋のついた小さな入れ物)、仏像、仏具等が発見されています。特に鏡と利器は多くの経塚から共通して発見されています。東柿生の経塚については正確な資料は何も残されていませんが、「経塚である」との伝承を信じるならば、過去にも書きましたが、柿生・岡上が修験道に関する多くの条件を備えていることから【3】の修験道と深い関係があるものと考えてよいのではないかと思います。

祭祀・遺跡の可能性も

 ただ少し気がかりなことは左の地図を見ても分かるように、東柿生小学校を取り巻くように4つの塚があり、小学校の敷地からは古墳時代の高坏等が多く発見され、祭祀遺跡ではないかと考えられています。したがって東柿生小学校遺跡と4つの「塚」との関連も今後さらに研究する必要があるところです。







 参考文献「ふるさとは語る」「民俗学事典」

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