麻生区版 掲載号:2017年1月27日号 エリアトップへ

柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第94回 シリーズ「麻生の歴史を探る」北条氏関東支配(4)〜印判状

掲載号:2017年1月27日号

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天正9年7月 北条家着到定書写
天正9年7月 北条家着到定書写

【前回から続く】

 そこで気が付くことは、通常文書の宛名は「殿」としますが、この文書は大曽根飛弾守「江」としており、その理由は何なのでしょうか。永禄2年作成の小田原役帖にはその名はありませんが、飛弾守は今もその後裔を残す実在の人物で、こうした土着性の強い武士には北条氏も遠慮があったのか、あるいは逆に指示を強めての「江」であったのか。この寺家・鴨志田には翌月(天正9年8月)寺家・鴨志田の代官、百姓中にあてて1貫660文の段銭増加を命じた北条家朱印状写があります。段銭とは田地に対する課役のことですが、この加増は無検地であった寺家・鴨志田に対して、氏政から氏直への代替わり検地を行うべきところを段銭を増しての優遇策とも考えられ、印判状も地域によっていろいろあったようです。なお、この寺家・鴨志田の武将大曽根飛弾守の参戦の記録はありません。

 町田市広袴は栗木、片平と黒川に挟まれた地域ですが、その地の旧家吉川家から八王子城主北条氏照の印判状が発見されています。破損で正確な年号が読み取れぬそうですが、天正10年(1582)頃と予想されます。そこには、「当郷の馬を三輪の沢山城へ集め、城内の米を相州江の島へ運搬するよう命じ、これに背く者には過銭を懸ける」と記され、宛名は当郷百姓中とし、氏照(氏直の叔父)の朱印が押されていますが、当郷とのみ記され、郷名が記されていないことから、この印判状は他の郷村にも出されていたと思われます。

 参考文献:「戦国大名北条氏とその文書」「寺家の歴史」「ふるさと三輪」

 文:小島一也(遺稿)
 

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