麻生区版 掲載号:2017年2月17日号 エリアトップへ

柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第96回 シリーズ「麻生の歴史を探る」北条氏関東支配(5)〜北条検地 後編

掲載号:2017年2月17日号

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【前回から続く】

 そこで、当時この地方の農民(庶民)の生活経済を資料で探ってみますと、田畑の売買を許された農民の経済は、米1俵が300文、平均米6升が銭60文だったといい、職人(技術者)の雇用費は1日50文。一般人の賃金は20文。谷戸の開発が盛んとなり木綿が栽培され、綿1把(100匁)が230文で、多様な銭(永楽銭が主)が出回り、市場が形成されたといわれます。一方北条氏の仏教擁護は、この時期この地方では前述のとおり、細山の光林寺、片平の修廣寺、黒川の西光寺などが農民によって創建されており、戦乱の世の中で、民生の安寧を得た一時期であったと思われます。

 北条氏は永禄二年(1559)「小田原役帳」を作成しています。これは北条領内の郷村・領主・役高・所属の軍団を記した、当時の北条治世を知る貴重な資料ですが(表)、表を見てわかることは、北条家の領国支配は在地豪族をそのまま温存し、側近(馬廻衆)や功臣を各郷村の領主としていることで、その例を小沢郷にとると、200貫文、垪和又太郎、松山衆とあります。しかしその一方では菅、高石、細山、金程などの郷村の名はなく、比べて小村の万福寺は、郷村万福寺、領主田中某、貫高10貫500文、小机衆と記載され、郷村の把握ができておらず、領主は地縁の武士ではなかったことがわかります。

 従って新編武蔵風土記稿にもある地元の武士、菅の佐保田氏、小沢ヶ原万福寺の中島氏、麻生の小島氏、寺家の大曾根氏、三輪大蔵の市川氏等の名はなく、村の庄屋、名主に連なるこれらの人たちは戦国の世のこと、北条政権下で陰の実力者であったと思われ、そのことが後に小田原北条家の没落を早める要因となっています。

 参考文献:「神奈川県史」「川崎市史」

 文:小島一也(遺稿)
 

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