麻生区版 掲載号:2017年9月22日号 エリアトップへ

柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第109回 シリーズ「麻生の歴史を探る」徳川入府(5)〜増上寺領王禅寺

掲載号:2017年9月22日号

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 天正十九年(1591)江戸に入った徳川家康は、江戸周辺に徳川恩顧の武士に知行を与え旗本とします。したがって現麻生区の村々は、今川・織田・武田・上杉などの徳川知遇の旧家臣が取り立てられ領主となりますが、その中でただ一ヶ村、王禅寺村だけは天領(国領)とされていました。

そのことを新編武蔵風土記稿は王禅寺村について、「この村、古きより領主を伝えず」と、古刹王禅寺の存在を示し、北条時代の小田原所領役帳には「麻生郷内五十貫文王禅寺領」と記され、そこには王禅寺村全体が王禅寺領ではなく、村内には表郷(本村現王禅寺東)と裏郷(真福寺現王禅寺西)が在ることを記しています。

 この天領と王禅寺領に分かれていた王禅寺村は文禄四年(1595)二代将軍秀忠とお江与の方(淀君の妹小督)の結婚祝いに天領の一部がお江与の方に贈られ御化粧料となります(化粧面現梨の木団地辺)。後に寛永三年(1626)お江与(崇源院)が亡くなり、6年後の寛永九年に将軍秀忠(台徳院)が没すると、翌寛永十年(1633)王禅寺村の天領は、隣村都筑郡の石川・江田・川和村など十二ケ隣村と共に、江戸の芝増上寺に御霊屋料として寄進されて王禅寺村の大半は増上寺領(王禅寺領は30石)となり、それは明治のころまで続きます。崇源院の葬儀には王禅寺村では名主は剃髪、村民は棺を担いだと伝承されます。

 増上寺は浄土宗の大本山で、徳川家康の帰依を受け、慶長三年(1598)江戸城の裏鬼門に当る現港区芝に移された上野寛永寺(表鬼門)と並ぶ徳川家の菩提寺で、寛永九年(1632)3代将軍家光は、父台徳院、母崇源院の御霊屋料として4000石の寄進を行いました。それを受けて行われたのが寛永九年王禅寺村をはじめとする増上寺領の検地で新編武蔵風土記稿によると、平岡勘右衛門なる役人の許で行われたとあり、検地水帳(市史志村家文書)には案内人三十郎・次郎左衛門・八右衛門の名が記されています。三十郎は小田原落城の際、白山谷戸で家康に抗して戦った吉垣将監重国の孫と思われ、次郎左衛門は現王禅寺入口の久保倉家の遠祖、八右衛門は裏郷(真福寺)の名主で現白山の井上家の遠祖。この頃王禅寺村は表裏郷一体でこの人達によって運営され、その折の検地の石高は水田25町5反余、畑23町1反余、石高398石2斗余としています。【次回へ続く】

 文:小島一也(遺稿)

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