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柿生文化を読む 第137回 シリーズ「麻生の歴史を探る」豪商藤屋〜行商黒川屋・栗木屋〜前編

掲載号:2018年11月2日号

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 柿生駅南口のロータリー、タクシー乗り場の前に藤屋ビルと呼ぶ2階建ての商店棟があります。ここは前述した津久井往還屈指の豪商、藤屋のあったところで、昭和30年代までは3つの蔵と母屋の間には樹齢300年ほどの大きく傘状に枝を張った柘植(つげ)の木が残されていました。

 この藤屋は文化・文政の頃(1804〜)より、この地方の炭を買い集め、江戸に送り、塩や油の日用品を持って帰る仲買問屋で、天保二年(1831)には遠く相模、津久井方面の炭まで買い求めています。相模原大沼新田中里源兵衛家の炭上帳(中里博家文書、この家は千俵の炭を生産していた)によると、納めた問屋は上麻生村藤屋鉄五郎、高石村源左衛門、五反田村忠左衛門、長沢村万屋半兵衛、長尾村彦七と記されており、長沢の万屋を除いては仲買人と思われます。通常炭俵は八貫目俵(30キロ)と四貫目俵(15キロ)があります。相模原大沼からは往復1日の日程で、健馬の背には四貫目俵が8俵積めたようです。炭の値は、年により変動があったでしょうが、3駄(24貫)で1両だったそうで、馬の駄賃は350文(馬子を含め)。中継地でもある津久井街道のこの藤屋は天保の頃当時13棟の蔵、納屋、店があり、出入り使用人は25人を数え、毎日台所は1斗のコメを炊いたそうです。

 この人達の中には近郷近在の炭を焼く人もいたと思われ、藤屋は代々鉄五郎を襲名して明治維新の頃まで続きます。末裔の鈴木家に伝わる話では、天保四年(1833)の江戸の大飢饉と火災の折には、仕入れに使う金を難民救済に使い、当時の瓦版(新聞)に出て、鉄五郎は代官から裃(かみしも)をいただき、大勢の人が集まる正月の初荷には半纏(はんてん)が褒美にふるまわれたと語られています。

(後編に続く)



参考資料:「黒川炭と庶民の歴史(広川英彦)」「川崎市史」「ふるさとは語る(柿生郷土史刊行会)」「津久井街道(稲田図書館)」

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