麻生区版 掲載号:2019年2月8日号
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柿生文化を読む 第144回 シリーズ「麻生の歴史を探る」入会地騒動 後編参考資料:「ふるさとは語る(柿生郷土史刊行会)」「町田市史」「川崎市史」「新編武蔵風土記稿」

※そしやう=訴訟
※そしやう=訴訟

【前編から続く】

 村と村との共同の入会地は、この他、片平村と五力田村、能ヶ谷村、岡上村と奈良村など、どこの村にも入会地があったようで、利害関係が絡んで様々な騒動を起こしています。天和3年(1683)片平村と能ヶ谷村の間では入会地の開発(開墾)をめぐって、双方の農民間で鎌取口論が起き、領主が裁定に入り、近隣名主を証人として開墾を行わないことを約し、入会地1反につき5文の上納金を領主に納めた(町田市神蔵文書)と言われています。元禄14年(1701)岡上村と奈良村の争いは岡上村から草刈りに行った者が、奈良村の大勢の者に乱暴され、鎌・砥石・馬を取り上げられ立ち入り拒否を宣告された事件で、村と村との騒動になりました。その後、宝暦5年(1755)岡上村では62名の百姓が連名で入会地売買禁止を定めています(市史、梶家文書)ので、この頃入会地が売買されるようになっていたのか、岡上村と奈良村の争いを見ると山林の持つ価値が高まってきたことを表しています。

 この時代、農民の年貢は村高と言って村が納めますので、山林の経営価値によって争いが起きるのは当然で、谷戸田の開発や黒川炭など農業生産力が高まってくると、山林資源は見直され、領主は山林に年貢を課したり、お留山(材木林)を設けたりします。片平村では享保の頃(1720年代前後)、旧領主前場氏のお林(3ヶ所、1町9反)が農民利用となりますが、宝暦10年(1760)、幕府の炭会所の管理となり、慶応3年(1867)片平村は幕府に「雑樫木薪4100束」を納めており(市史、安藤文書)、年貢とは異なる農民への賦課は雑木にまで及んでいました。

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