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掲載号:2019年6月21日号

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【前編から続く】

 片平の富士塚は、新編武蔵風土記稿に「村の西にありその由来を伝えず、二間四方の塚なり」と記され今でも存在しますが、この塚は古墳時代の円墳ともされこの地は古来鎌倉街道早ノ道の支道筋で、中世浅間社が祀られ、富士を望む景勝の地だったそうですが、今は惜しいことに銀行グラウンドに削られています。この古道の道筋には、岡上最高峰富士塚(営農団地南奈良堺)があり、今は横浜市青葉区ですが、奈良には富士塚、浅間社があります。これを新編武蔵風土記稿は「浅間丘上にあり、六月朔日、近郷の者ども群集せり」と紹介しています。

 朔日(さくじつ)とは、月の第1日目を言いますが、これはこの地方の富士塚の山開きが、毎年6月1日に行われたことを語ったものです。その代表的なのが横浜都筑区川和の富士塚と池辺の富士塚で「川和の富士塚」は、賀加原に安政4年(1857)延3120人によって造成され、川和富士と呼ばれましたが、港北ニュータウン建設で取り壊され、今は所を変えて川和公園に再現され、昔日そのままの偉容を見ることができます。「池辺の富士塚」=写真=は、現在も星谷の農専地域に「池辺富士」と呼ばれて現存し、頂上には、寛政8年(1796)9月造立の碑があり、今でも池辺の在家の人たちは、毎年6月1日塚の草刈りを行い、今も変わらぬ富士を望んで宴を共にするそうです。

 この富士塚を信仰の象徴とする富士信仰は、明治時代に入り、扶桑教、実行教そして丸山教の3つの教団に分かれます。この丸山教が川崎地域とは関わりが深い「登戸の丸山教」で、そのルーツは新編武蔵風土記稿登戸村の項に「浅間社、村の巽(東南)の方にあり、わずかなる祠にて社地塚の如く一の丘をなせり」とあり塚上の石祠には「文化三年(1806)四月七日、中田富士塚氏子中」と刻まれています。これは当地の富士講の先達清宮伝左衛門が富士塚を築き浅間社を祀り富士信仰を広めていったもので、その伝左衛門の分家筋源六の二男に幼名米吉(文政12年生まれ)がいました。この米吉が後の丸山教祖伊藤六郎兵衛で、米吉は、幼いころの伝左衛門の感化と厳しい修験道によって、全国信徒100万人を持つ丸山教団を設立します。時は文明開化の維新の頃、時と共に神がかり的な富士信仰はその衰えをみせていきます。

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