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麻生区版 公開:2019年11月1日 エリアトップへ

柿生文化を読む 第160回 シリーズ「麻生の歴史を探る」御岳山信仰〜勧化と御師〜 前編 文:小島一也(遺稿)

公開:2019年11月1日

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大口真神社(御嶽山山頂)
大口真神社(御嶽山山頂)

 「新年、人々は子ノ神社に、戒翁寺に詣でる。昭和63年、道行く人の安全を願いお地蔵様を建立、路傍の石仏は人々を見守る。念仏講、地神講、天王様…人々は信仰を通して結び付く。人々は自然や神仏を畏敬し、心豊かな暮らしを続ける」。これは早野郷土史刊行会が発行した「七つの池とともに」の一節ですが、まこと、私どもの祖先が辿った生活の原形で、そこには「信仰」という心の働きがありました。

 石造物の信仰につきましては先に述べましたが、江戸時代も後期になると、この地方の村々には勧化聖(かんげひじり)とか御師(おし)と称する宗教者が訪れ、新しい信仰を布教し始めたといいます(川崎市史)。勧化とは、秋葉山勧化とか常安寺勧化がそれで、これは、主として寺社への寄進を願う僧と言われ、勧化の中には幕府の許可を得た「御免勧化」があり、これは聖と称せられ、全国有力寺社への寄進を求める幕府公認の宗教者でした。王禅寺村には弘化4年(1847)四国讃岐の善通寺の御免勧化が、また、安政4年(1857)には紀州高野の高室院なる勧化聖が訪れており(志村家文書)、これに対して王禅寺村では「御免勧化来村、古来より仕来りあり、当村銭200文…」と費用を負担した記録があるそうで、高室院勧化の際は、下麻生村まで迎えに出て、帰りは大棚村から保土ヶ谷宿まで見送ったとのことで、村々はこの御免勧化の扱いには悩んだのではないでしょうか。

 これに比べ御師は、主として山岳を聖地として、農耕にかかわる信仰の布教者で、農民の家に足を運び、自ら得た知見、体験、霊験を語り、信仰の講を組織するに至っています。昭和7年発行の柿生岡上村郷土史には、郷土の信仰、講社の項があり、それには江戸時代から今に残る信仰講中に、御嶽講、榛名講、大山講、秋葉講、成田講、伊勢講、富士講などの講の名が記されています。

   【後編に続く】
 

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