柿生文化を読む シリーズ「鶴見川流域の中世」中世史料・資料の隠れた宝庫 恩田郷(その3)【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)
恩田郷を苗字の地とする恩田氏は金沢文庫文書に登場する。金沢文庫文書は鎌倉幕府執権北条氏の一族である北条実時が、稱名寺境内に基礎を築いた金沢文庫に蒐集した文書や書状からなっている。恩田氏宛てに出された年未詳の武蔵国留守所代連署書状は金沢文庫から早い時期に流出して、現在は早稲田大学図書館に所蔵されているので見てみよう。
府中市分倍河原付近を流れる多摩川の堤が破損したため、武蔵国内平均に賦課をかけて四月以前に堤を修固するように命じたが、恩田氏が割り当てられた修築工事に応じないので武蔵国留守所代である左兵衛尉実長と沙弥阿聖が連署して督促したのである。
これとほぼ同じ内容の文書が同じ日付で市尾(横浜市青葉区市ヶ尾)を苗字とする市尾入道宛てにも出されている。2通の書状は同じ年に出されたと考えられ、その年代は弘安年間(1278〜1288年)と推定されている。堤の修固作業が武蔵国の全ての郷に賦課された大規模な工事であったことがうかがえる。
(つづく)
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