柿生郷土史料館タイアップ企画 柿生文化を読む 第20回 昔、柿生・岡上は山伏の修行の場であった【2】〜多摩丘陵で見られる修験者の足跡
〈密教との関係〉
やがて、平安時代初期に最澄の天台、空海の真言の教えが伝来すると、深い山中に入って祈祷や呪術を行う修行が盛んに行われ、超自然的な能力を身に着けようとする修験者や山伏が多数現れるようになりました。
また『修験道日用見聞抄』という修験者の教義書の中には「第一に法華経を以って修学すべし」と書かれ、仏教の経典を教えの基本に置いています。また不動明王(仏教を守護するインドの神で悪魔を退治する)を本尊とすることが多く、仏教との深いつながりがわかります。
〈秋葉信仰との関係〉
柿生で現在まで続いている「秋葉信仰」も修験者と深い関係があります。秋葉信仰はもともと静岡県の山岳地帯にある秋葉山で始まり、火伏せの神に対する信仰をもち、修験者の「三尺坊」を信仰の対象にしています。一般的には「三尺坊権現(※権現=ごんげんとは仏教の仏が日本の神に姿を変えて現れたといわれている)」といい、天狗であるとも言われています。
〈御嶽信仰との関係〉
柿生でも家の玄関付近に貼られている「オオカミの護符」でおなじみの「御嶽信仰」は東京青梅の御岳山を対象とした山岳信仰です。ここにも平安時代末頃から修験者たちが入り、修行をしていたといいます。この時期には中心的存在である吉野の御嶽(金峰山=きんぷさん)や秩父の三峰神社、木曽の御嶽(おんたけ)などにも多くの修験者が修行していたといわれ、御嶽信仰との強い結びつきが出来ました。
〈柿生・岡上と修験者〉
以上のように修験者は日本独特の山岳信仰にもとづいて、さらに仏教(特に密教)や神道に関する精進(しょうじん=身を清めること)、潔斎(けっさい=酒・肉食を慎むこと)、参籠(さんろう=神社にこもって祈願すること)などの儀礼と、中国から伝わった陰陽道(おんみょうどう)の卜占(うらない)や呪法(じゅほう=呪文を唱えること)など多くの信仰や宗教と関わりをもちながら修験道を継承してきました。
このように考えてみますと、柿生・岡上に修験者が多く存在したのではないかという疑問を解く手がかりとして次のようなキーワードをあげることができます。
【1】密教の教えを伝える王禅寺や岡上の東光院などをはじめとする真言宗の古い寺院の存在。
【2】下麻生の不動院の不動明王。
【3】山岳信仰で修験に関係する浄慶寺境内秋葉神社の秋葉信仰と祀られている火伏せの神。
【4】今でも柿生で続く御嶽講を支える御嶽信仰。
【5】修験道の歴史を持つ加賀白山神社の末社である白山神社。
【6】岡上の地名に残されている「山伏谷戸」。
以上のように修験者にまつわる事柄が大変多くあげられます。柿生・岡上が諸条件から修験道の盛んな地域であったという証明にもなりそうです。
※参考資料『山伏の歴史』『熊野修験』『御嶽信仰』『秋葉信仰』
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