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麻生区版 公開:2021年10月8日 エリアトップへ

柿生文化を読む シリーズ「鶴見川流域の中世」県下最古の板碑〜寛元二年銘板碑等と御家人鴨志田氏について〜【2】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)

公開:2021年10月8日

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(左)寛元二年銘板碑拓本(右)建長七年銘板碑拓本
(左)寛元二年銘板碑拓本(右)建長七年銘板碑拓本

 鴨志田十郎と称する武士が源頼朝の御家人にいることが『吾妻鏡』に記されている。『吾妻鏡』建久元年(1190)十一月七日条の源頼朝上洛の先陣随兵八番に大井実高、高麗実家とともに列している。また、同建久六年(1195)三月十日源頼朝の東大寺供養の供奉人として先陣随兵七番に阿保六郎、青木真直とともに列を組んでいる。大井実高は品川氏の一族、高麗実家・阿保六郎・青木真直はともに武蔵七党と言われた丹党の武士である。隊列は一族などの由緒を同じくする武士同士で組ませる事があるので、鴨志田十郎が丹党の武士団と何らかの所縁があるのかもしれない。隊列を組んだ武士がいずれも武蔵国出身の武士である事。また、名字の地である鴨志田郷は武蔵国のなかでは都筑郡の鴨志田郷以外に存在しない事などから、『吾妻鏡』に出てくる鴨志田十郎は鴨志田郷の武士として間違はない。

 丹党の武士団と隊列を組んでいる事と関連して、建長七年板碑に注目したい。この板碑には阿弥陀種子を表すキリークが大きく刻まれている。このキリークは独特な形態をしている。これと同じキリークが埼玉県川島町西見寺に所在することから、板碑研究者の磯野治司さんはこの形態のキリークを西見寺類と命名している。以前から川島町西見寺と同じ形態のキリークが鶴見川流域に存在する事に疑問に思っていたが、磯野さんの論文を読み返してみると、西見寺類の板碑分布はなんと丹党の武士団の分布と重なるではないか。先ほど見た『吾妻鏡』に記された鴨志田十郎と隊列を組んだ武士は丹党の武士団であった。これでようやく謎が解けた。鴨志田十郎は丹党の武士団と所縁のある武士である可能性があり、その関係で丹党の武士団が用いた埼玉県川島町西見寺のキリークと同じ形態のキリークを鴨志田の地にもたらしたのであろう。

(つづく)

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