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麻生区版 公開:2022年6月17日 エリアトップへ

柿生文化を読む シリーズ「草創期の柿生中学校」柿生中学校の誕生まで【2】文:小林基男(柿生郷土資料館専門委員)

公開:2022年6月17日

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新制中学校16校の配置図
新制中学校16校の配置図

 戦争に敗れた日本が受け入れた『ポツダム宣言』は、日本が民主化を徹底し、国民の基本的人権を確立するまで、連合軍が日本占領を続けることを、明記していました。そのため、連合国日本占領軍司令部(GHQ)は、日本政府に次から次へと民主化の指令を出したのです。曰く、経済界の民主化(財閥解体に結実)、農村の民主化(農地改革に結実)、国民主権と基本的人権の確立、並びに男女平等の推進など(昭和憲法に結実)、そして軍国主義教育の全廃と教育の民主化の徹底並びに教育制度の刷新などです。柿生中学校の誕生も、この教育制度の刷新の結果でした。

 教育の民主化については、まず「教育勅語」の失効が国会の場で宣言され、皇国史観に基づく歴史教育が否定され、この流れの中で、新たに「教育基本法」が制定(1947年3月31日)されるに至ります。一方で教育制度の刷新については、文部省の下に、南原繁東大総長を座長とした教育刷新委員会が組織され、教育の民主化を制度面から図るには、義務教育を3年間延長する事が適当であるとの考えから、国民学校を小学校の名称に改めて初等教育を担当する6年制の学校と定め、5年制の中学校は二つに分割して、前半の3年間を義務教育制の中学校、後半の2年間は新たに1年を加えて3年間の新制高等学校とし、旧制高等学校の残り2年間と帝国大学などの3年間の専門教育は、1年縮めて4年制の大学とする案を作成、GHQに提出したのです。この案は、ほとんどそのまま受け入れられ、ここに私たちに馴染のある六・三・三・四制がスタートする事になったのです。   (つづく)

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