着物を再利用した雛人形や七夕飾り作りを指導している 茂村 ひとみさん 箱根町宮城野在住 68歳
「もらった時間」完全燃焼
○…東北を訪れ被災した人々と一緒に雛人形作りを始めたのは4年前。初めて仮設住宅を訪れた頃は何もできず、ただ相手の話を聞き、一緒に泣く事しかできなかった。雛は着物を裁断して作り、行方不明者を忘れないという思いをこめ「かえりびな」と呼ぶ。手伝うよ、という人が増え、今では仙台や箱根などに雛づくりのグループができた。
〇…瀬戸内海・淡路育ち。父・仙吉さんは漁師で、よく山歩きに誘われた。もちろん健康づくりではない。「何かあったら、まっすぐここまで走れ」「ここの水は飲める」。今となって振り返れば避難訓練だ。海の男はその恐ろしさも知っていたのだろう。津波こそ来なかったが、中学の時に台風が故郷を襲い、高波で船が家の中に押し寄せた。
○…「なくなったものを探すより前にある宝を探せ」。この家訓のもと一家は上京。高校卒業後は新聞社や広告代理店で働き、男社会の中でキャッチコピーや求人広告を練り上げた。結婚後は子育ての傍ら、町田市の「23万人の個展」の実行委を10年務め、今で言うフリマの先駆け的なイベントに育てた。その後も大手生保に入り、仕事に没頭した。転勤が決まった頃から電車の中で不思議と涙がこぼれたり、心臓が激しく脈打つようになった。駆け続けるのはもう無理だった。
○…夫・寿さんと宮城野に移住したのは20年前。早川の桜並木の梢を見ながら「春はすごい風景になる」と気持ちが上向いた。今は旅館の仲居として働きながら、ひとりで暮らす。寿さんは8年間のがん闘病ののち2010年に他界した。東日本大震災はその翌年。すぐに特技の裁縫を生かそうと思ったという。
○…数々の新聞で紹介された「かえりびな」。他にも仲間と形にしたい構想は続々と湧き上がる。化粧の時間すら惜しいのか基本的にすっぴん。「夫が最後に時間をくれたんでしょう。大切にしないとバチがあたる」。がははと笑った。
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