大阪や東京で開催の企画展「富士屋ホテルの営繕さん」で仕事が紹介された 赤木孝さん 箱根町宮ノ下勤務 37歳
名門ホテル 建築の守り人
○…国登録有形文化財を擁する富士屋ホテル。風雨に洗われた重厚な屋根、年月のしみこんだ障子や椅子、厨房の鍋の取手までありとあらゆるものを修繕・新造する職人たちを「営繕さん」と呼ぶ。そのリーダーは弱冠37歳。受け継がれたものを次の世代につなぐために、情報収集は欠かせない。時には分解してみたり、他のホテルや神社仏閣に足を運んで先人の技を吸収する。やりがいは何なのか聞くと、大きく息を吸いこんでしばし沈黙。「自分の作った看板の前で、お客様が記念写真を撮っていた時ですかね」とはにかんだ。
○…平塚生まれで、サーフボードを抱えながら海に通う少年だった。実家近くには田んぼが広がり、緑の中で遊ぶうちに進路は平塚農業高校の園芸科へ。卒業後に富士屋ホテルに就職し、温室管理担当となった。ある日「営繕」の親方に呼ばれた。人手不足だったのか「あれ取ってきて」「ここ押さえて」と言われた通り動くうち「これは面白いと思ってしまって」。小さい頃から手先が器用でプラモデルに没頭したり、父の工具箱をあさった事もあった。親方の出す宿題は「これを仕上げろ」「額縁を作れ」と難しさを増した。7年前に親方は引退し、営繕担当を引き継ぐことになった。苦笑いで「不安でしたが、なんとかなりました」とつぶやいた。
○…高校生を含む3人のお父さんである。20歳で結婚して子も生まれ、腰をすえる覚悟を決めた。可愛いわが子に「部屋の壁に服をかけたい」と言われればすぐフックを作ってしまう。休日は親子でサーフィンに出かけて元気を補給。職場ではホテルシェフのように座らず、取材中も立ったまま。再び作業台に向かい、浅黒く使い込んだカンナを手にすると笑みが消えた。齢を重ねた別人のよう。親方の顔だった。
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