江戸時代、多摩川の小河内から河口までに全39カ所あったとされる「渡し」。当時の人々の生活を支えたその歴史を、後世に伝えようと活動している人たちがいる――。
多摩川を隔て、今の川崎市と大田区、世田谷区を行き来していた「渡し舟」は周辺に計11カ所あったという。そのうち徳川家康も通ったとされ、江戸への玄関口として重要な役割を果たしていたのが、中原街道をつなぐ「丸子の渡し」だ。
昭和に入ると、人だけでなく牛馬車や自動車の往来が進み、渡し舟も大型船になっていった。しかし、混雑や荒天時の危険性などを理由に、住民による橋の設置を求める請願運動が起き、1935(昭和10)年に丸子橋が完成した。
その後、丸子の渡しは姿を消していき、戦後は公園やゴルフ場が河川敷に整備され、舟はボート遊びや釣りなどを楽しむための娯楽となっていった。
復活協議会が誕生
そんな丸子の渡しの歴史を後世に伝えようと、2008年に丸子の渡し復活協議会が発足。NPO法人多摩川エコミュージアム、NPOとどろき水辺、川崎河川漁業協同組合ら関係者がボランティアで、乗船体験を交えながらイベントの開催や、川崎市内の小中学校で課外授業として歴史や環境などを教えている。
今後は嶺町小学校(大田区)でも実施予定という。
高津区と世田谷区を結んでいた「宇奈根の渡し」でも、2014年9月に復活イベントが行われ、福田紀彦川崎市長と保坂展人世田谷区長をはじめ小学生らが参加。互いに交流を深めた。「二子の渡し」でも今年11月3日に体験イベントを予定しているという。
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