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多摩区版 公開:2020年4月17日 エリアトップへ

【Web限定記事】 「川崎大空襲」未来への糧に 89歳の証言者・梅津さん

社会

公開:2020年4月17日

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資料を手に、当時の様子を語る梅津さん
資料を手に、当時の様子を語る梅津さん

 川崎大空襲から4月15日で75年。当時空襲を体験した梅津政之輔さん(89)は、川崎市平和館で講演を先月予定していたが、新型コロナウイルスの影響で中止に。初めて市民に伝えようとしていた当時の様子や、未来へ託す思いを聞いた。

◆◆◆

 梅津さんは12歳のころ、父の仕事の都合で川崎区池田町に移り住み、旧制の横浜第二中学校(現・横浜翠嵐高)に通った。2年生の秋、鶴見に住む友人と遊んでいたとき、米軍のB29爆撃機が總持寺近くに墜落した瞬間を目撃。黒煙が立ち昇る現場へ駆けつけ、残骸の中からラジオを聴くための発電機を探していたところ、大きな編み上げ靴を見つけた。「持ち上げて中を見たら、血のついた足首が残っていた。怖くなって友人と逃げ出したよ」。初めて見た戦争の犠牲者は米兵だった。

 1945年3月10日夜、赤く染まる東京の空を自宅から眺めていた。1週間後、父の指示で門前仲町に住む親戚の安否を確認するため、列車で東京駅へ向かった。外に出ると一面は焼け野原。「隅田川の岸で警察官や警防団が集まり、若い女性の遺体をロープに巻き付け引き上げていた。恐怖のせいか、自宅までどう帰ったか記憶がない」

「何も感じなくなった」

 4月15日に空襲警報が鳴り、いつものように母と赤ん坊だった妹の3人で庭の防空壕に避難し息を潜めた。「B29が落とした焼夷弾がトタン屋根を叩きつける、ザーっという夕立のような音は今も耳に残っている」。市役所から2キロほど離れた池田町の一角は焼け残り自宅も無事だったが、その後も幾度となくB29の大編隊が川崎を襲った。道に倒れる黒焦げの遺体、防火用水に顔をつけたままの焼死体、鶴見川を流れる腹の膨らんだ水死体―。「まるでマネキン人形の黒焼きでも見ているかのようでね。いつしか何も感じなくなった自分に気づいたよ」。

 その後、疎開先の山形県で終戦を迎えた。「同じ町に疎開していた小学生がいたけど、終戦から2カ月経っても親が迎えに来ない子が数人いた」。川崎に戻ってきたのは10月。市役所周辺は焼け野原のままで、防空壕にトタン屋根をのせて生活している孤児も見かけた。「疎開先の子と重なって見えた。75年経つ今でも思い出す」

 梅津さんが伝えたいのは未来への願い。「紛争は今も世界で起きている。戦争の歴史に無関心でなく、未来をつくる糧にしてほしい。自分の意見を述べ、異なる意見の人と対話する努力を」。残された人生、機会があれば講演するつもりだ。

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