NHK連続テレビ小説「エール」のモデルで、春秋苑(南生田)の墓所に眠る作曲家・古関裕而氏。ドラマにも登場した代表作の一つ「長崎の鐘」は、医学博士・永井隆氏が被爆体験をつづった同名の随筆が基になっている。同作が出版された経緯をたどると、古関氏と春秋苑との関係に、さらなる縁が――。多分野で郷土史研究を続ける、栗谷在住の山口醇さんに話を聞いた。
「春秋苑には、永井隆著『長崎の鐘』の出版に尽力した式場隆三郎の墓所があります」と山口さん。式場氏は精神科医だが、文筆や民芸運動、山下清の後援など、多岐にわたる事業に寄与した人物だ。永井氏は同作の自序で「なかなか出版してくれる社がなく、式場隆三郎氏などの尽力により出版にこぎつけた」と記している。式場氏が1948年、日比谷出版社を設立し、この問題を解決した。
しかし、出版に至るにはもう一つの難題、連合国軍総司令部(GHQ)の検閲があった。山口さんは「ようやく得た出版許可の条件は、『日本軍が犯したマニラ大虐殺の記録を併載すること』でした」と説明する。許可条件を満たし、49年1月、日比谷出版社が「長崎の鐘」を発行。空前のベストセラーとなった。
式場氏はすぐに、「長崎の鐘」のレコード化を日本コロムビアに提案。サトウハチロー氏の作詞、古関氏の作曲により実現されることになった。49年7月、歌謡曲「長崎の鐘」が発売され大ヒット。翌年には映画化を果たした。山口さんは式場氏について、「ベストセラーの出版、レコード化、映画化をプロモートする才覚がありました」と語る。
式場氏の墓所は、春秋苑の「中6区」にある。この区域は、古関氏の墓所「南5区」から見渡せる位置。山口さんは「式場隆三郎の貢献なくして、永井隆著『長崎の鐘』と名曲『長崎の鐘』は世に出なかったはず」と思いをはせる。
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