多摩区平和のための原爆展実行委員会(塩田房子委員長)は、11月17日から21日まで多摩区役所で、広島の高校生が被爆体験者の話を聞き、当時の状況を描いた「原爆の絵」などを展示した。高校時代に絵を制作した卒業生の講演会も18日に行い、32人が訪れた。塩田さんは「投下後の状態や被爆者の実態を伝え、戦争を起こさないためにも続けていく」と述べた。
同会は、戦争のない平和な世界を訴え、毎年展示や講演を企画、今回で18回目を数えた。「原爆の絵」は、2007年度から広島平和記念資料館が、被爆の実相を絵画として後世に残すことと、制作を通じて高校生が被爆者の思いを受け継ぎ、平和の尊さを考えることを目的に実施。広島市立基町高校創造表現コースの協力を得て、現在までに191点が完成している。被爆体験を詳細に聞き取り、約1年間をかけて作品作りに取り組む。
展示では、約35点の作品が並んだほか、原爆投下後の生々しい写真なども多数あった。
講演は、今までは市内の被爆者などに登壇してもらっていた。だが、高校生の「原爆の絵」を複数回展示していたこともあり「実際に描いた人の話が聞きたい」という思いがあった。今回、初めて同校卒業生である富田葵天さん(29)=茨城県在住=を招き実現した。
2年生のときに、被爆体験者の兒玉光雄さんから話を聞き、絵を手掛けた富田さんは「他人の記憶。さらに、想像を絶する風景を描くのは難しかった。でも、だからこそ、細かく聞き、必死に言葉から拾おうとした」と述べた。完成したのは、倒れた長い塀に腰まで挟まれ、髪を振り乱しながら助けを求める女性に足を掴まれ、その手を振り払った場面を描いた「忘れられない〜あの眼」。第三者的な視点で、兒玉さんが下敷きになった女性を見ている構図とした。披露会当日に兒玉さんから「女性の目を強調したい」との話があり、直前まで筆を入れていたエピソードも。富田さんは絵の制作を通じ、兒玉さんの体験を追体験できたという。「受け取った人が考えて、自分なりの考えを持って、伝えていくことで、時間が経過しても体験が濃くなる。この新しい継承の方法が広がってほしい」と講演を締めくくった。来場した広島県出身の男性は「広島を出ると、関心の薄さを感じる。全国の人に原爆のことを知ってほしい」と話した。
![]() 富田さんの作品=18日撮影
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