「現地の苦痛を和らげたかった」 湯河原町消防が被災地で延べ24日間活動
震災当日に出発派遣隊員に聞く 震災から延べ24日間にわたり救助活動を行った湯河原の消防援助隊員が31日に町役場前に集い、冨田幸宏町長に帰署報告を行った。総勢26人の隊員は入れ替わるように被災地入りし、消防隊は津波被災地の仙台市宮城野区で救助を行ったほか、救急隊が福島市で病院間の搬送を担った。
震災当日に出発
派遣隊員に聞く
震災当日に湯河原を出発した第一次隊員が現地で捜索を始めたのは13日。「ここは集落です」と説明された風景は家が粉々に砕け、ほぼ平地に見えたという。信号は折れ、そこには車がつき刺さっていた。任務は倒壊家屋の一軒一軒に分け入り「誰かいませんか」と声を出しながら生存者を探し出すこと。「家を離れたくない」と戻ってきた住民には早く避難するよう説得した。海岸からわずか100㍍の地で捜索していた時、無線で「津波が来る、退避せよ」と指示が下った。隊員たちは大急ぎで倒壊した廃油所の塔に避難、幸い津波は来なかったが、川の水はみるみるうちに引いたという。捜索開始から10分後に見つかったのは、お婆さんと孫らしい子。おそらく病気で学校を休んでいた時に津波に巻き込まれてしまったのだろう。「自分にも同年代の子がいる、いたたまれなかった」と隊員の一人は語る。現地の消防団の中には自分の家族が行方不明という団員もいたが、彼らはほとんどその事は語らず、救助に尽力していたという。「私たちは生存者を発見することができず、何人かの遺体を警察に引き継いだ。ただ活動を通じて、少しでも現地の家族の苦しみを和らげたかった」。隊員の一人は噛みしめるように語った。
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