築地の小田原橋 歴史遺産が江戸から到着 市郷土文化館で公開
小田原と江戸をつなぐ貴重な歴史遺産が、小田原市郷土文化館へやってきた。東京都中央区の築地川に架かっていた「小田原橋」の親柱(おやばしら)だ。同館の前庭に保存され、6月14日から公開されている。
小田原橋は、築地にあったコンクリート製のアーチ橋。展示される親柱は、築地市場そばに1929年に完成した橋の一部で、端などに位置していた。
時代の経過とともに、周辺の埋め立てが進行。橋としての機能は徐々に失われ、今年5月に撤去された。現存している小田原橋の親柱3本のうち、1本を小田原市が譲り受けるかたちで同館へ移設された。
都内には小田原橋が存在していただけでなく、かつては「小田原町」もあった。
日本橋、築地に「小田原町」
戦国時代、北条家の石切棟梁として活躍した石工善左衛門という人物がいた。北条氏滅亡後は、徳川家康にその技量を評価され、江戸城築城にあたり大窪(現小田原市板橋)から召集された。善左衛門は、小田原や伊豆半島の石材を江戸に運搬。石材の荷揚げ場として東京・日本橋周辺を使用したことで、一帯が「小田原町」と名づけられたという。
後に、石揚げ場は築地に移転して「南小田原町」と称され、区画整理によって小田原町に改名。1966年まで町名として使われた。橋は、町名が消えた後も江戸と小田原のつながりを証明する遺産として残っていた。
同館の学芸員・岡潔さんは「親柱を通して、江戸のまちづくりに小田原の人が携わったことを知ってほしい」と話す。展示期限は設けていない。
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