“6万6000年前の噴火の跡がクッキリ”。座間市は11月15日、市内栗原の芹沢公園内にある地下壕を初めて報道陣に公開した。第2次世界大戦末に日本軍が掘った地下壕は、戦争の記憶を残すとともに、遥か昔の地球活動の記録も露わにした。
地下壕では戦闘機「雷電」の部品などを製造していたとみられ、台湾出身の少年工も多く働いていたという。台湾少年工の来日75周年に合わせて同市は、塞いでいた入口2カ所を整備し、鉄柵越しに中を見学できるようにした。
アミダ状に東西南北に張り巡らされた地下壕は総延長約1500mにも及ぶ。日本軍が部品を製造していたような痕跡はほとんどないが、ツルハシを使って土を削った跡が見て取れる。交わる通路の角度が直角でなかったり、交わる部分では南北通路に高低差があるが、日本軍が掘った他の地下壕でも同じような特徴がみられるという。
箱根東京軽石層
壕には戦争の痕跡のほか、6万6000年前に箱根火山が噴火した跡が白い地層としてはっきり残っている。40cmほどの白い地層は「箱根東京軽石層」と呼ばれる。箱根火山の最大級の噴火による火山灰が堆積したもので、軽石が主体。その層の上には、噴火直後に起こった火砕流の堆積物が約40cmの地層となっている。層の中には、高熱の火砕流に巻き込まれ炭化した木片や、大木が倒れた跡と推定される構造物も観察できるという。
この地層は神奈川県内などを中心に観ることができるが、地層が表面に出ている露頭場所が崖地などのため、壕内の地層は目前で観察できる場所としては稀な存在となっている。「壕を掘り進めるときにも、この地層が目印になったのではないか」と市担当課は話す。
市は安全上の理由で一般開放をしない方針だが、地下壕や地質学者などの専門家と共に調査を進めるという。壕内は鉄柵越しに入り口部分を見ることができ、ライトアップされている(平日午前9時〜午後5時)。問合せは市生涯学習課【電話】046・252・8431。
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